第11回 『ゴールデン・サマー』訳者あとがき<完全版>

【解説】2004年8月に創元から出たクイーンのダニエル・ネイサン名義作『ゴールデ・サマー』は、EQFCの会誌に連載された翻訳が元になっています。訳者の谷口氏は、この連載が完結した時に書いた「『ゴールデン・サマー』を終えて」を改稿したものを、単行本の「訳者あとがき」として載せてほしかったのですが、諸事情により不採用。そこで、ここに掲載することにしました。『ゴールデン・サマー』を買った人は、つなげて読んでください。『ゴールデン・サマー』を買ってない人は、今すぐ買いましょう。


『ゴールデン・サマー』訳者あとがき<完全版>
by 谷口年史

およそ六年がかりで『ゴールデン・サマー』の連載が終わったわけだが、「クイーンダム」の発行が年三回ということもあって、かくも長きにわたる連載となった。ここまでお付き合いしてくださったEQFCの会員諸兄姉に感謝いたします。
さて、この作品を訳すきっかけというものは、EQFC会長の指名によるもので、別に当方に何らかの思い入れがあったわけではない。そういう意味では偶然の産物と言えよう。ただ、いざやり出すと、なかなか凝ったダネイの物語設定に的確に応えてやろうという意欲が湧いてきたのは事実である。「手旗信号」の一件など、笑いながら訳した。読みながら訳し、訳しながら読んだわけだが、十分に楽しませてもらった。何と言っても全会員に先駆けてダニーのエピソードが読めるのである。
このたび完結に際して「あとがき」を書けとのことなので、訳者の感想も含めて、全体を振り返ってみよう。
最後の訳稿を渡したとき、「これも出版できたらいいですね」という手紙が来たので、「どこかが児童文学全集でも出さなければ無理だろう」と答えておいた。すると「『ゴールデン・サマー』って児童文学なのですか? これ、大人向きの本だと思ってましたが……。幕間の章とか」との返事。
いやはや、ぼくはこの作品をてっきり児童文学だと思って訳していたのである。だから、もし日本で出版されるとしたら、どこか児童文学をよく出しているところで、しかも作者を「ダニエル・ネイサン(エラリー・クイーン)」と表記して売り出すしかないだろうと考えていたわけだ。肝心なところで認識が食い違ったまま最後まできたわけで、よく持ったものだと思う。
このたび東京創元社から刊行の運びとなり(児童書ではなかった!)改めて感慨深いものがある。
ところで、余談をひとつ。
この作品のタイトルであるが、今の日本で『ゴールデン・サマー』といわれて「何のことか分からん」というのは児童だけであろう。もう日本語として定着している。だが敢えてこれを訳すとすればどうなるだろうか。常識で言えば『黄金の夏』である。ただ訳者としてはもう少し情緒的に『こがね色の夏』としたいのである。このほうが降り注ぐ太陽の光や子供たちの溌剌とした動き、そしてダニーのお金儲けまでも含んでよいと思う。別に「おかね色の夏」というわけでもないが。
子供から大人までの読者層はどのようにお考えだろうか。

一九一五年はどんな年か。
何も考えずにすぐ浮かぶのは、この前年に第一次世界大戦が勃発していることである。ただここでは、こがね色の子供の世界を取り囲んでいた大人の世界がどのようなものであったのかを、やや詳しく見てみることにしよう。

二月十八日 ドイツの潜水艦がイギリスの封鎖を開始する。
二月十九日 イギリス海軍がダーダネルス海峡の攻撃を開始。
三月十八日 イギリスの軍艦四隻がダーダネルス海峡を突破しようとして機雷に接触、沈没する。ジョン・ド・ローベック指令官は退却。イギリスの作戦は失敗する。
四月二十二日 ドイツ軍が第二回イープル会戦で塩素ガスを使用。交戦中の国が毒ガスを使ったのはこれが最初である。
四月二十四日 トルコは「ロシアに味方した」として国内のアルメニア人の追放を開始、抵抗するものを処刑する。このとき約百七十五万人が追放され、うち六十万人はメソポタミヤ砂漠で餓死。最終的な生存者はおよそ三分の一。
四月二十五日 イギリス軍のガリポリ上陸作戦開始。
五月七日 客船ルシタニヤ号がアイルランド沖でドイツ潜水艦の発射した魚雷によって沈没。アメリカ人百二十八人を含む千百三十八人が死亡する。後日、この船はアメリカで積み込んだ武器弾薬や違法な食料品など百七十三トンを積載し、潜水艦が出没していた地域を護衛艦もつけずに航行していたことが判明する。
五月十日 ウィルスン大統領は「誇りが高いゆえに戦えない場合もある」と演説するが、ルシタニヤ号撃沈事件によって火がついたアメリカの国民感情は反独に傾く。
五月十三日 ウィルスン大統領はベルリンに抗議の書簡を送る。
五月二十三日 イタリアがアドリア海沿岸とアルプス地方の領土獲得を目指してオーストリアに宣戦を布告する。
六月八日 反戦論者の国務長官ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが辞職。
八月四日 イギリス赤十字の看護婦エディス・ルイヘザ・キァベルが占領下のブリュッセルで連合軍の捕虜の逃亡を助けたとしてドイツ軍に逮捕される。十月二十二日、彼女は案内役のベルギー人と共に銃殺刑に処された。イギリスはこれを野蛮な行為として反独宣伝に利用するが、同様のことをフランス軍もやっていた事実は伏せられる。
八月七日 ワルシャワがドイツ軍に降伏する。
八月二十一日 イタリアがトルコに宣戦布告。
十月十四日 ブルガリアがセルビアに宣戦布告。
十月十五日 イギリスがブルガリアに宣戦布告、モンテネグロがそれに従う。
十月十六日 フランスがブルガリアに宣戦布告。
十月十九日 ロシアとイタリアがブルガリアに宣戦布告。
十二月四日 ヘンリー・フォードが汽船オスカー2世号をチャーターし、「平和の船」と称しヨーロッパへ向けて出発。「兵士たちはクリスマスまでに戦闘を中止せよ」と訴えるが、無駄に終わる。

ざっと見ただけでこうなるが、ダニーがチャドやサートリアスと過ごしたチェマン川のほとりの小さな町の、何とのどかなことか。
世界大戦以外での出来事も少し見てみよう。

日本が中国に対して二十一個条の要求を突き付けたのもこの年の一月十八日である。
この年の感謝祭の夜、ウィリアム・ジョセフ・シモンズがアトランタ近くのストーン・マウンテン山頂でクー・クラックス・クランを再結成した。
D.W.グリフィスの『国民の創生』が製作される。
アメリカ陸軍のジョン・タリアフェロ・トムソン准将がトムソン式小型自動機関銃(トミーガン)を考案。
フォードのアッセンブリーラインで生産された自動車が百万台を突破する。T型フォードの生産台数も、前年の三十万台から五十万台に増加した。
この年の一月二十五日、ニューヨーク・サンフランシスコ間の長距離電話が開通する。この時六十八歳のグラハム・ベルが助手のワトスンを呼び出した話は幕間の章にも書かれている。しかし相手が出るまでに二十三分かかり、通話料金は二十ドル七十セントだったそうな。
七月二十七日、日本・アメリカ間の直接無線通信が開通する。
最後にもうひとつ、日本のエピソードを記しておこう。
技師の早川徳次が日本で最初のシャープペンシルを発明し、「シャープ」という商品名で売り出す。これが成功して彼は早川電気会社を設立し、以後「シャープ」の商標で多くの製品を売り出した。

閑話休題
この作品は「自伝的小説」と言われるが、「自伝的」ということは、あくまでも「的」であって、その本質はフィクションだということである。ただ、それでは丸々空想によって描かれた物語かというと、決してそうではなく、やはりモデルとなった人物はいると思う。少なくとも、チャド、サートリアス、オーグスト、そしてミッチの四人については実在したダネイの友達がいたと判断してよいのではないだろうか。前者二人と後者二人、この対極にいる四人に関しては、ことさら作っているような感じがしない。ダネイの頭の中のイメージだけの産物ではなく、血の通った人間になっている。恐らく、書きながらダネイも少年時代に思いを馳せていたのではないか。
ネイサン家は決して裕福な家庭ではない。家は実際の礎石よりも内側に立てられている(つまりそれだけ小さい)し、ダニーはしばしば朝食のメニューに不満げである。それでもお父さんはダニーにおもちゃをいっぱい買ってくれるのである。ダニーは間違いなく“裕福な少年”であっただろう。ミッチはダニーのBBガンを欲しがるし、都会から来たいとこのテルフォードもダニーのおもちゃで遊びたがるのだ。それだけに、オーグストとの戦いで買ってもらったばかりの開拓者のコスチュームが裂けたとき、ダニーの無念はいかばかりであったろうか。
さて個々のエピソードはどうか。もちろんフィクションではある。だが部分的には事実も混じっていると思う。当然脚色されていて、ほんの小さな出来事が、とてつもなく大きな事件になっているのであろう。たとえば、実際にセメント袋の山に登って遊んだ、という経験はあるのかもしれない。しかしそこを劇場にしたというのは……ね。

全巻を通して異彩を放っているのが、幕間の章であろう。ここで読者は子供の世界から突然大人の世界へと放り込まれてしまう。もう少し正確にいうと、現実の世界に引き戻されるのだ。
ダニー少年の物語とこの幕間の章との落差はいったい何なのだろう。
ダニーの世界の外側には巌として現実の世界が存在していた。これは否定できない事実である。しかしダニーはそんなことは知らなかったに違いない。そして「知らない」ものは「存在しない」のだ。たとえ現実に存在しても、それを知らない人にとってはこの世にないものである。
ダニーは知らない。しかしダネイは知っている。
空想と現実との乖離。こんなものは当たり前でダネイにとって何ら気にする必要のないものだったに違いないのだ。にもかかわらず、夢の世界の合間に現実の世界が挟み込まれている。ダネイはそれを見せたかったということか。ダネイが見せた現実は決して暗い面を強調しているわけではない。平和な時代にも悲しい出来事があるように、激動の時代にも平和な出来事はあるのである。世の中そんなに捨てたもんじゃないよ、というダネイの声が聞こえてきそうだ。それでもダネイはそんなものを押し潰してしまう大きなうねりがあることをも、書き添えておくことを忘れたりはしない。
幕間の章、それは物語の世界からほんの少し現実の世界を覗き見るためにダネイが開けた「窓」なのである。

長々と書いてきてしまった。ここらでまとめなければなるまい。
この作品を書いているときに、ダネイの脳裏を去来するものが何であったのか、訳者には知る術がない。そんな資料は持ち合わせていないからだが、たとえ資料があったとしても、それでダネイの胸の内がどれだけ推し量れるものか。他人様の内面にはそう安易に入っていけるものではないだろう。
そうは言っても、ある程度ならば勝手な想像も許されるのではなかろうか。そして事実はどうあれ、それを個人的に信じることは各人の自由であろう。
だからみんなで信じようではないか。
たとえ少年時代の夏が過去のものとして遠くへ去ったとしても、ダネイが目を閉じれば瞼の裏にくっきりと、こがね色をした夏の日々がそっくりそのまま残っていたのだということを。

 平成十六年七月、ゴールデン・サマーの京都にて
      谷 口 年 史


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