第3回 「神の灯」の翻訳について
【解説】このコーナーのための書き下ろし。ただし、元ネタは会誌の創刊号に載ったトマス・ゴドフリーの評論「神の灯」です。この中編のトリックに触れているので、未読の方は、『クイーンの新冒険』(創元推理文庫)を買って、読みましょう。会員の方は、会誌60号の評論「女王の起源」(EQV)と読み比べると、面白いですよ。
「神の灯」の翻訳について
By EQV
今年出たボルヘス&カサーレス『ドン・イシドロ。パロディの六つの難事件』(岩波書店)は、《クイーンの定員》に選ばれた傑作短編集です。もちろん、内容には満足なのですが、翻訳が気になりました。語学的な誤訳ではなく、ミステリー的な誤訳が目立つのですね。伏線や手がかりや推理の部分の翻訳に、おかしな所があるのです。訳者がミステリー系ではなく、純文学系の方だからでしょうか?
クイーンは「手がかりの達人」です。従って、ひとつの文章に二重の意味を持たせることなど、朝飯前です。そして、こういった文章を日本語にするのは実に難しい。どうしても片方の意味だけしか出せないからです。時には、訳者が一方の意味しかわかっていない場合もあります。
例として、「神の灯」を挙げましょう。
トマス・ゴドフリーは、評論「神の灯」において、この中編を絶賛しています。その中に、次の一節があります。
「『神の灯』は手がかりの取り扱い方のお手本と言ってよい。(略)解決編の直前、作者は大胆にも登場人物に次のセリフを言わせて、最後のヒントを与えている。(略)これほど大胆不敵な一節は、他のミステリーには皆無ではないだろうか。(略)作者は自信満々で読者の鼻先に手がかりをぶらさげて見せるのだ。この一点だけでも、作者二人はミステリの殿堂入りの資格充分である。」
このセリフというのは、第二章の終わりで、ソーン弁護士がエラリーに向かって言うセリフのことで、創元推理文庫版『クイーンの新冒険』の井上勇訳では、以下のようになっています。
「早くこの事件に光明が見えないなら、ぼくは気違いになってしまう」
このセリフを聞いた後、「エラリーは、はっとしたらしかった。どうして、はっとしたのか、ソーンには、その理由がわからなかった。」というシーンが続くわけです。
なぜ、エラリーがはっとしたのか、なぜ、このセリフをトマス・ゴドフリーが絶賛するのか、わかるでしょうか?
ソーンのセリフの原文は、
"I'll go mad if I don't see daylight
on this thing soon!"
となっています。直訳すると、「早く太陽の光を見ることができないと、ぼくは気違いになってしまう」というわけですね。
「神の灯」を読んだ方なら、これでおわかりでしょう。エラリーは「事件の手がかりは太陽の光(すなわち《神の灯》)にある」と考え、雲が晴れるのを、ずっと待っていたから、このソーンのセリフに、はっとさせられたのです。そしてまた、だからこそ、トマス・ゴドフリーはこのセリフを絶賛したのです。
もっとも、「光」「見える」という単語を使っていることから考えると、井上勇氏は、この手がかりに気づいていたのかもしれませんね。気づいたのだが、うまく訳せなかったのか、あるいは、カンのいい読者なら、こう訳すだけでも充分だと思ったのか……。(実際、「太陽」とか「陽の光」とかを入れて自然な文に訳すのは難しいですね。)
あなたは、井上訳で、気づきましたか?
それでは、他の訳も見てみましょう。
「この件について早いとこ光明が見えてこないことには、わたしは気が狂ってしまう」(真野明裕訳/講談社文庫『クイーン推理と証明』)
――これも井上訳と同じですね。気づいていたのかな?
「この事件の解決の鍵を与えられなかったら私は気が狂ってしまいそうだよ」(西田政治訳/早川ポケミス『神の灯火』)
――こちらは完全に気づいていないようですね。さすがは「新青年」時代の翻訳家。
あと、この作品は、ご存知の江戸川乱歩が「黒い家」と改題して訳しています(江戸川乱歩推理文庫『海外探偵小説作家と作品3』講談社)。こちらを見ると……なんと、この会話がばっさりカットされていました。乱歩のことだから、家屋消失トリックばかり感心して、手がかりには気づかなかったのでしょうねえ。「神の灯」という重大な手がかりを表す題名も、「黒い家」に変えてしまうし……。
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