第8回 戦争と鉄人と『九尾の猫』

【解説】原稿の初出は、自費出版本『鉄人28号研究読本』です。2002年5月に講談社ソフィアブックスから出た『「鉄人28号」大研究――操縦器の夢』に収録する際に、後半のクイーン関係部分をカットしたので、ここに復活させました。『「鉄人28号」大研究』をお持ちの方は、「戦争と鉄人」の後に続けて読んでください。


戦争と鉄人と『九尾の猫』
By EQIII
 

    1 再び大量死

  前述した〈大量死〉の定義は、日本の探偵作家・笠井潔のものである。笠井潔は一九九二年に発表したエッセイの中で、次のように語っている。
  「人類がはじめて体験した大量殺戮戦争である第一次大戦と、その結果として生じた膨大な死体の山が、ポーによるミステリー詩学の極端化をもたらしたのである。戦場の現代的な大量死の体験は、もはや過去のものかもしれない尊厳ある固有の人間の死を、フィクションとして復権させるように強いた」
  この文は、第一次世界大戦後に栄えた本格探偵小説について語っているのだが、『鉄人28号』の場合、そして横山光輝の場合は、第二次世界大戦の方がふさわしい。もちろん、第二次世界大戦の方が〈大量死〉の規模は大きくなっているし、作者の母国が戦場になったという点から見ても、この置き換えは問題ないだろう。そしてまた、戦争のもたらす〈大量死〉が影響を与えたジャンルが本格探偵小説だけ、ということも考えられない。当然、漫画にも影響は与えたはずである。
  私は前半部で、『鉄人28号』という漫画が、第二次世界大戦の影響下に生まれ、〈大量死〉をテーマとしていることを書いてきた。この後半部では、やはり第二次世界大戦の影響下に生まれ、〈大量死〉をテーマとしている、ある探偵小説との比較を行いたい。
  その探偵小説とは――エラリイ・クイーンの『九尾の猫』である。

    2 テーマ

  この文の読者が『九尾の猫』を知らない場合も考えられるので、簡単に説明しておこう。(ここから先は犯人にも触れるので、未読の方は注意してほしい)
  内容は次の通りである。
  ニューヨークに〈猫〉と呼ばれる連続無差別殺人者が出現し、市民はパニックに陥る。名探偵エラリイ・クイーン(作者と同じ名前なので、以下は探偵をエラリイ、作者をクイーンと書く)は、前の『十日間の不思議』事件の解決に失敗して落ち込んでいるが、父親の檄もあって、事件の捜査に乗り出す。なかなか事件は解決せずに犠牲者が増えていくが、ついにエラリイは殺人のパターンを見抜き、ある人物を逮捕する。しかし、この人物は犯人ではなかったのだ。最後には真犯人を見抜いたエラリイだったが、自分のミスによって新たな犠牲者が生まれたことに傷つき、再び落ち込む。

  上のつたない紹介でもわかると思うが、『九尾の猫』は二つのストーリーが組み合わさっている。
  1.〈猫〉による連続無差別殺人をめぐる物語
  2.名探偵エラリイのスランプとの闘いの物語
  この二つのうち、〈無名の大量死〉と関係があるのは1.である。
  まず、『九尾の猫』は、探偵小説にしては異常なほど多くの犠牲者が出るのだ。――『鉄人28号』が少年漫画にしては異常なほど多くの犠牲者が出るのと同じように。
  そして、殺人者〈猫〉の犯行動機も、従来の探偵小説の犯行動機とは異なっている。遺産目当てや愛憎によるもの、一つの殺人を隠すための多数の殺人、あるいは被害者の全員が同じ事件の陪審員だった……こういった動機とは全くタイプの違う、理不尽なもの……。そう、たまたまミサイルの着弾点にいたから被害者になったというのと同じタイプのものなのだ。――「鉄人」の被害者と同じ〈無名の死〉である。
  ここで、法月綸太郎が評論「クイーン試論/大量死と密室」の中で『九尾の猫』について論じた部分にある、次の一節を紹介したい。
  「むろん猫騒動は、作者クイーンの想像力の産物である。自警団の出現、それによって誘発されたパニックと悽惨な市民暴動をめぐる一連の描写から、第二次世界大戦でも直接の戦禍を免れたアメリカ本土を、ペンの力で戦場にしようとする作家の意図を読み取ることはたやすい。」
  この文章は、少し変えると『鉄人28号』にそっくり当てはめることができる。
  「むろん鉄人は、横山光輝の想像力の産物である。鉄人の出現、それによって誘発されたパニックと破壊・殺戮をめぐる一連の描写から、第二次世界大戦で直接の戦禍を受けた世代が、後に続く世代に向けて、ペンの力で現代の日本を戦場にしようとする作家の意図を読み取ることはたやすい。」

  なぜこうも『九尾の猫』と『鉄人28号』が似ているかというと、共に第二次世界大戦において近代兵器がもたらした破壊と殺戮(無名の大量死)を体験した作者が、それをそのままの形ではなく、「あるもの」を使って、戦後の平和な世界に移し替えた作品だからである。「あるもの」というのは言うまでもなく、連続無差別殺人者〈猫〉と、破壊兵器「鉄人」のことを指す。

    3 ストーリー

  これまでの文で、『九尾の猫』と『鉄人28号』が同じテーマから生み出された作品であることは、理解してもらえたと思う。しかし、実を言うと、この二作品は、ストーリーまでも似ているのだ。以下、その類似ぶりを挙げてみよう。
(『九尾』は『九尾の猫』、『鉄人』は『鉄人28号』を指す)

  『九尾』――連続殺人犯〈猫〉によって、次々にニューヨーク市民が殺される。「〈猫〉は手当たり次第に犠牲者を選んだ。〈猫〉は個人の殺害を偶然にアリをふみつぶすほどにしか思わなかった。これは防衛を不可能にした。だから逃げ場所がなく、パニックが起こった」
  『鉄人』――破壊兵器〈鉄人〉によって、次々に民衆が殺される。〈鉄人〉は、ギャングであろうが善良な老人であろうが無差別に殺した。〈鉄人〉は個人の殺害を偶然にアリをふみつぶすように行った。その破壊力は防衛を不可能にした。だから逃げ場所がなく、〈鉄人〉が現れるとパニックが起こった。

  『九尾』――〈猫〉の被害者の一人、シモーヌ・フィリップスには妹がいる。彼女(セレスト)は後に名探偵エラリイと協力し、〈猫〉を追う。そして、そのために命をねらわれる。
  『鉄人』――〈鉄人〉の被害者、村雨竜作と辰には兄弟がいる。彼(村雨健次)は後に少年探偵・金田正太郎と協力し、〈鉄人〉を追う。そして、そのために命をねらわれる。

  『九尾』――〈猫〉を捕まえられない警察に対し、マスコミの非難が集中する。五人目の殺人の後、たまりかねたニューヨーク市警のリチャード・クイーン警視は、息子のエラリイに協力を要請する。
  『鉄人』――〈鉄人〉を捕まえられない警察に対し、マスコミの非難が集中する。五件目のロボット強盗の後、たまりかねた警視庁の大塚署長は、金田正太郎に協力を要請する。

  『九尾』――クイーン警視の部下は地図の上で〈猫〉の犯行現場を線で結んでみて、パターンを発見しようとする。
  『鉄人』――金田正太郎は地図の上で〈鉄人〉の犯行現場を線で結んでみて、パターンを発見しようとする。

  『九尾』――事件に重要な役割を果たす人物にカザリス博士がいる。彼は姪を〈猫〉に殺されている。
  『鉄人』――事件に重要な役割を果たす人物に敷島博士がいる。彼は父を〈鉄人〉に殺されている。

  『九尾』――エラリイは、カザリス博士がかつて産婦人科医をしていた当時のカルテを調べて、事件の動機に気づく。犯人はカザリス博士で、彼は十年以上前に妻の出産を二度も失敗したため、〈猫〉事件を起こしていたのだ。動機は失敗したわが子の誕生だった。
  『鉄人』――正太郎は、敷島博士がかつてロボット研究をしていた当時の日記を調べて、事件の動機に気づく。犯人は敷島博士で、彼は十年以上前に鉄人の研究を何度も失敗したため、〈鉄人〉事件を起こしていたのだ。動機は失敗した鉄人の誕生だった。《注1》

  《注1》正太郎と大塚署長は「死んだと思われている敷島博士が、実は生きていて、事件の背後にいるのではないか」という推理をするが、これはクイーン作品には頻繁にあらわれるトリックである(ただし『九尾の猫』には出てこない)。また、前面に出て犯罪を犯す者(鉄人)の背後に、それを操る謎の人物(覆面の男)がいるというのも、やはりクイーンお得意の設定である。

  『九尾』――エラリイのこの推理は、動機は当たっていたが、犯人はカザリス博士ではなかった。失敗した誕生のもうひとりの関係者、カザリス夫人だった。彼女は最後まで名前を明かされないまま――「カザリス博士の妻」としてしか知られないまま――物語から消えてしまう。
  『鉄人』――正太郎のこの推理は、動機は当たっていたが、犯人は敷島博士ではなかった。失敗した誕生のもうひとりの関係者、鉄人研究スタッフの一人だった。彼は最後まで名前を明かされないまま――「敷島博士の同僚」としてしか知られないまま――物語から消えてしまう。

  ――驚くほどの類似ぶりである。テーマ、ストーリー……〈無名の大量死〉の動機が、誕生すなわち〈特別な生〉であるというモチーフ……。

  だが、この二作品の類似は、これだけではない。

    4 パラドックス

  前述したように、『九尾の猫』は、「〈猫〉による連続無差別殺人をめぐる物語」と「名探偵エラリイのスランプとの闘いの物語」の二つのストーリーが組み合わさっている。これまでは「戦争」をキイワードに、前者と『鉄人28号』の類似を考えてきたが、この章からは、後者と『鉄人28号』について考えていきたい。――そう、こちらの点においても、類似が見られるのだ。
  そして、ここからは「鉄人」の第二の特性が中心となる。第一の特性は、これまで述べてきた「〈無名の大量死〉をもたらす存在」というものであり、第二の特性は――誰もが知っている有名な――「いいも悪いもリモコン次第」という、「鉄人」の持つ矛盾である。

 『九尾の猫』における名探偵エラリイのスランプの原因は、前作『十日間の不思議』にある。この事件でエラリイは、犯人に騙されて(「操られて」)誤った人物を犯人として指摘し、彼を死に追いやってしまったのだ。つまり、エラリイの名探偵としての名声や能力が高いがゆえに、それを逆に利用する悪人が出てしまう、という矛盾に直面してしまったのだ。そして、彼が普通の人ではなく名探偵であるがゆえに、失敗した場合に周囲に及ぼす不幸が大きくなってしまうのである。
  『九尾の猫』の冒頭では、こう書かれている。
  「彼(エラリイ)は自分自身の論理に裏切られたのだった。手にしている刃が急に彼の方を向いた。彼は犯人を狙ったのに罪のない者を刺してしまった」
  名探偵という存在、あるいはその論理(推理)の持つ危うさについて語ったこの文は、そのまま「鉄人28号」の抱える矛盾を語る文でもある。(悪人に向かうはずの鉄人が、急に正太郎の方を向いて襲ってきたことは、一度や二度ではない)
  鉄人の力が強大であるがゆえに、それを犯罪に利用する悪人が出てしまう、という矛盾。しかも、鉄人の圧倒的な破壊力ゆえに、周囲に及ぼす不幸は大きくなってしまう。そして、この矛盾は、正太郎が操縦器を持っていれば解決するというものではない。例えば「砂漠の怪ロボット」というエピソードで正太郎は、悪人側に騙されて(「操られて」)善人側を鉄人で滅ぼそうとするのである。まるで『十日間の不思議』におけるエラリイのように……。

    5 メッセージ

  この矛盾を解決するのは簡単である。名探偵エラリイは探偵をやめ、正太郎は鉄人を破壊すればいい。――しかし、作者はそうするわけにはいかない。それは明らかに逃げであり、真の解決とは言えないものだからだ。また、いささか皮肉な言い方をさせてもらうと、作者は今後もエラリイと鉄人に活躍してもらわなければならないし、読者もそれを望んでいるからでもある。
  では、どうすればいいのだろうか?
  『鉄人28号』における解決策については、既に述べた。敵側が次々と強大なロボットで平和を脅かすため、唯一の対抗手段として鉄人が必要なのである。(「あのロボットに立ち向かえるのは鉄人だけだ」というセリフが何度出てきただろうか?)
  一方、『九尾の猫』の場合は、どう解決しているのだろうか?
  物語の終盤、探偵をやめようとするエラリイに対し、ある老教授が次のように諭す。
「君は前にも失敗したし、今後もするだろう。それが人間の本質である。(中略)君の選んだ仕事は、大きな社会的価値のあるものだ。それを続けるべきだ」と。

  再び『鉄人28号』に戻ると、この老教授の言葉こそが、作者・横山光輝の言いたいことではなかったかと思われる。
「鉄人はこれまでも悪用されたし、今後も悪用されるだろう。それが鉄人の本質なのだ。だが、悪用されるからと言って、鉄人を破壊してはいけない。日本の平和を脅かす悪に立ち向かう力を持っている唯一の存在である鉄人には、大きな社会的価値があるのだ。正太郎は、悪用されることを恐れず、これからも鉄人を使って悪と闘うという仕事を続けるべきだ」

 共に同じテーマを、ストーリーを、パラドックスを、メッセージを扱っており、しかも、本格探偵小説と少年漫画という枠組みの中で、それを巧みに盛り込んで成功している。――『九尾の猫』も『鉄人28号』も、偉大な作品なのである。


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